辞書をめくることがないわけではなく、馬に草を食わせ、馬房の掃除がすみ、飼い葉桶を満たしたあとの午後のひとときに語学力が試された。
一日の仕事がすんでホースマンたちが焚き火を囲み、ほっとくつろぐ時間だ。
誰もが黙々と仕事に打ち込んでひっそりとしていた日中とは打って変わって、夜分は騒々しく賑やかな話し声が飛びかった。
馬のそばではぼそぼそした呟き声や身振りや微笑でJに思うところを伝えた厩務員が、燃製肉とチーズとパンを盛った大皿と無色透明の液体、ウォッカの瓶を傍らに、草地にどっかり腰を据えると、途端に生き生きと活気づいた。
小さなショットグラスが配られ、酒瓶と食べ物の皿が手から手へと回された。
しっかり働いた一日への乾杯の音頭のあと、略式ながらもかしこまってウォッカの最初の一杯をみんなで揃って飲む。
そのあとは、質問や議論や自慢話に次第に熱が入ってくる。
みんなはJから二つのことを聞きたがった。
口数が多くて風変わりなJーKについて何か知っていることは?ニューヨークというのはどういうところ。
Jにとってはどちらもろくに知らない話題で、ごまかして切り抜けるしかなかった。
Lの使用人たちはKのことを面白がりもし、感服もしていたのだった。
彼はかれらと一緒のときは休みなしにしゃべり通しだったし、馴染みのないアメリカ流の調教の仕方を持ち込んでもきた。
かれらは自分たちの馬が競馬場で飛ぶように走るのに役立ったアメリカ製の蹄鉄をまだ持っていて、付属の蹄鉄作業所では複製を作るために鉄をガンガン叩いていた。
かれらはKの調教法にも馴染んでいて、時折Dにも長時間のギャロップの代わりに強めの「軽快な早駆け」をさせるように求めた。
Kが外国旅行から戻ったあとでよくみんなにふるまった茶色の酒も「Kタッキー」のバーボンとやらをー懐かしむ声が多かった。
ウォッカを味見したあとでJ自身どぶろくを二、三本持ってくればよかったと悔やんだ。
Kは春か、遅くとも夏にはロシアに戻ってくると、彼は事実と思われることもかれらに話した。
どうやらジヤックーKはブルーグラスこそアメリカの馬の世界の中心だと、Jを含めてケンタッキー人が誰しも絶対的真理と見なしている事柄を、勤勉なスタッフ一同に印象づけることはできなかったらしい。
JのことはL以下の面々にアメリカ屈指の優秀な騎手でーこれは本当−ニューヨークで数々の大レースに勝利を収めた実績があると便利である。
ケンタッキー・ダービーでの二度の優勝がロシアに鳴り響いていなかったのは、O、M兄弟、それにSといったヨーロッパで成功したアメリカ人騎手たちが賞金の高いシープスヘッドーペイーサーキットの出身だったのと、もう一つにはロシア帝国から逃れてニューヨークに上陸したロシア人移民たちがニューヨークこそ新世界での立身出世に扉を開く門戸だと郷里の親戚へ書き送っていたからだった。
Dは二度の短いニューヨーク滞在で目にしたことを思い出せる限り話に出し、そこのサーキットでの騎手としての手柄はーというより手柄のないことはーぼやかした。
ここの人間は誰も彼の肌の色をとやかく言わなかったし、彼を他の者と差別するようなこともなかった。
いろいろな馬について彼が意見を述べれば、みんな熱心に耳を傾け、馬の病気の治療法なども場合によっては彼の忠告に従った。
飲食物を彼にも分け与え、同輩として扱ってくれた。
そんなわけでJはアメリカでの人種間の緊張関係、たとえば郷里のケンタッキーではたいていの白人は彼を自分たちの仲間に入れようとはしないし、彼が手を触れたパンや口をつけたウォッカは決して口にしないことなどをかれらに話すのはやめておくことにした。
代わりに彼は自分がよく知っていること、つまりもっぱら馬の話で押し通した。
同僚のP人、ロシア人、トルコ人たちが夕暮れ時に焚き火のまわりで語る言い伝えや馬への熱情を吸収しもした。
ロシア人とP人はとりわけ、どちらがより深く馬を愛しているか、ホースマンとしてはどちらが上かという話になると、頭に血が上った。
人口に謄灸している諺に、「馬を持たないP人は魂のない肉体と同じだ」というのがある。
両者がたいていウォッカをもう一杯あおって騒々しく大笑いしながらうなずき合うのはただ一つ、「馬と蜂蜜と小麦がお偉方の借金を片付ける」というロシアの別のものぐらいだった。
P人の男親がそれまで自分たちに多大の貢献をしてくれた動物に我が子が第一歩をしるすようにとの親心で、生まれてきた息子をまず最初に馬屋へ連れていって馬の背に乗せるわけがJにはたいていの人よりよくわかった。
一五六九年から一七九五年にかけて、Pの騎兵隊は世界史上それまでで最も民主制に近いものを守るために、モンゴル人、タタール人、トルコ人、アラブ人を相次いで撃退した。
オーストリア、ハンガリー、モスクワ大公国、スウェーデン、オスマン、トルコなどの国々、それに時折反乱を起こすウクライナ地方のコサックと手を組んだ国内勢力などから郷土を防衛することに明け暮れ、馬上に生き、馬上で死んだ。
疾走する軽騎兵はここでは偶像視され、壮麗な絵画に描かれ、詩や歌で讃えられ、地上で最も優美な動物に打ちまたがった勇猛無類の戦士としてうやうやしく語られていた。
軽騎兵の鋼の兜から後ろになびく大きな鷲の羽根飾りと、突撃に先立って聞こえてくる心かき乱すうなりは敵対する騎兵たちの戦意を萎えさせた。
先駆けの貴人たちは磨き上げた鋼の鎧の上から血のように赤いマントをはおった堂々たる姿で、サーベルと弓を帯び、騎兵用短銃を鞍かブーツにねじ込んでいた。
軽騎兵の馬はそれ以上に威風堂々として、恐ろしげだった。
鞍覆いは猛獣の毛皮で作られていた。
虎か狼、稀には白熊の毛皮が馬の背にかぶせられ、その頭部が馬の帽子となり、四肢が馬の特大の脚のそばに垂れ下がるように案配された。
戦闘時以外は金銀でこさえた蹄鉄を打っていて、街路を歩くとカッカツと鳴って、金銀の台にちりばめた宝石は人目を惹いた。
馬具を飾る絹の飾り房や革の組紐細工はP人の心の中で馬が神聖な地位を占めていることを証明していた。
かれらは馬を愛し、馬なしでは生きられない人々だった。
Jは生まれ故郷からいかに遠く離れていようと、ふるさとにいる気がした。
JはそれまでL将軍のような人には会ったことがなかった。
金持ちの白人にはアメリカでいくらも出会っていたが、さながら王のように振る舞い、使用人たちまで身分の低い臣民というより君主仲間のような気分にさせる人物は初めてだった。
Jからすると二二歳年長で四四歳の将軍が、その倍くらいの年配に見えた。
肩は幅が広くて厚みがなく、太鼓腹が胸の下から斜め下に突き出ていて、凝った手作りのチョッキでいつもふわりと包み込んでいた。
常にかぶっているシルクハットの下では細い目が黒く光り、先の尖ったふさふさした顎髭と両端をワックスで固めてぴんと跳ね上げた口髭が目立った。
ステッキの助けを借りて大股にずんずん歩くこともあれば、黒いモーニングの高級な生地をこすって衣ずれの音をさせる痩せ細った脚で腫を引きずって歩くこともあった。
彼の父、Iは一八歳のときにコーカサスの山岳地方で一兵卒として軍に入隊し、その後戦場での勇敢な行為と行政手腕によって准将にまで昇進したアルメニア人だった。
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